清正の井 というパワスポ
ふと思いついて明治神宮に。
昔、参宮橋あたりにゴスロリ服の女の子たちがたむろしていた頃によく通っていたのですが参拝の機会がなくて初明治神宮。
鳥居をくぐると神気というか気持ち良い空気。
大国主命の祀られる伊勢の大神宮も厳かでかつ大らかで良かったのですが
また違った空気。
和歌山の八咫烏の神社さんや香取系はまた別。貴船さんとかも参ったことはないですがたぶん 時間や周囲のこともあって違う気 だと思います。
国会議事堂前の山王さんや芝大神宮とも違い、もちろん靖国さんとも違います。歩いてみて違いがある、とだけしか書けませんが。感じる方はもっと繊細に違いを書けるように思います。
そんなのを感じなくてもそれなりに気持ちいいとか、改まった気分になれれば良いような。
近所には観光名所としてのお寺がけっこうあるのですが。
もう世俗にまみれ。全く何も感じられません。むしろ御神籤やキャラコラボやら御守りやらも現代風過ぎて。
商売っ気しかないからかもしれませんし。ある意味では格が違うのかもしれません。神様回ではないのでこの辺で。
とにかく参拝以外の人が多すぎると感じられなくなるのかも。
本殿に参り、本来の目的の清正の井へ。
ちょっと探しましたが 別料金で入る菖蒲園などのコーナーにありました。
入場に500円かかります。
名目は維持の為であって入場料とも違えどとにかく500円かかります。
明治神宮自体が東京ドーム15個分という、比較に困る感じの広さ ※公式サイト資料より
庭園もてくてくてくてく歩いて、歩いて。それも気持ち良かった道のりですが
ついに。
清正の井に。
結構 行列が出来ていてゆっくり階段を下るのですが。
快晴の秋晴れ。鳥の鳴き声などもして その中で のんびりと順番待ち。
空気は澄んでいて不思議な穏やかさがあるし、気持ちも柔らか。
朝から炭酸泉につかって、身綺麗になってから行った甲斐がありました。
基本的にどこに参ろうが、いつであっても
いい作品作りたい
納得できるものを出していきたい、それによって喜ばれたいという望みだけで生きています。
そこに向かっているだけ。
ただただ積み上げるだけ。
なので特に願掛けや呪いはしません。
願いは一種の呪いです。
へたな願いは叶いません。
だから自分の希望だけを定めておいてある、それだけです。余計な願掛けやグッズを集めても叶わないもの、要は思い通りにならないものの方が多く。むしろそれが当たり前。
でなかったら、日本中で御守りなどをやたら頒布して気持ちだけは穏やかにが成立するわけはない、と。
そんな考え方です。
※叶ってしまった方は、神頼みしなくても叶えてる。たいていは自力で掴めてます。
安易な他人本願で すぐ頼ったりお金がない仕事もしてない単行本も売れないけどゴネて単行本印税前借りしたいです、で そのままパチンコですってくる。具体的過ぎますかね。まあ、そんな寄生虫タイプの方のほうが よく神頼みをしているように思います。
神様も叶えてあげたい願いがあり。そうでもない願いがあるとしたら。
自然に努力している方を推す、この方は普段から素晴らしいから気持ちよくしてあげたいなぁと思われるように考えます。いつもの様子を見てトータルで決定、願望成就かどうかを採用されているとしたら。
土台、平素から他人におんぶ抱っこの恩知らずが、そのときだけ手を合わせても願掛け行為だけのように思います。
秘密の救済の手段で、ある意味で無駄を知りつつの手を合わせがカウントされていたらおもしろいですが。
いちおう、手を合わせておきますが。
それ以上に特に願掛けしなくても
毎日が特別で充実。
それ以上ではないからです。
ところで、
清正の井の関連検索で恋愛とありました。
清正の井と恋愛。
清正の井 恋愛スポット、片思い成就スポットとしては、どうなんだろう。
仲良くお互いを井戸のほとりに立たせて撮り合いしてるとかくらいで。
恋愛スポットとして成立するのかシニア向けっぽい気持ちも。
清正の井の写真を待ち受けにするといいというのも、五円玉はご縁とか。
満月で財布がいっぱいにとか春から張る財布といった掛言葉程度の世俗的な迷信のような。
まあ、綺麗に撮れて気に入ったらそれでいいかもしれません。
井戸といえば、京都の晴明神社に行ったら星見の井戸があり。ちょっと素敵でした。晴明神社のロケーション、街中ですごく普通で、これまた記念スポットとしてしか感じられなくて残念。
どちらにしても井戸は数百年前からなにか不思議な繋がりを感じさせてくれたのかも。
明治神宮自体は あまりにも神気心地よくて、いつまでもいたい感じで。
なにかこう原点に戻ってしっかりやろうという気持ちに素直になれました。
実は陰陽師のサイト
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1457482/1470963/76530779
で清正の井にある石が、御度に良いようだとされていたので そこだけは取り入れてみて
しっかりと右手で触るつもりでしたが。
んー?
それらしきものが見当たらず。石?
どこに?
なので、外側のお水だけ右手で触って帰ってきました。
AIにでも自動生成させておけばいいような程度の まとめサイトではなく、専門家の意見だったので尊重しますが。
御度は
右手から入って左手から出る
イメージなのだそうです。
なので右手で外側の水を触りました。
後ろに
ぎゅうぎゅうの行列が出来ていてゆっくりは無理でしたが。
つるんと冷たい水と井戸の内側の湧き水の綺麗さ。
そして鳥も舞う森。穏やかな独特の空気感と秋晴れの日を楽しむことができました。
本殿にも自然に左回りでお参りしましたが右側の頬が気持ち、つるんとしています。
気の持ちようかも、ですが。
表参道の知り合いのお店により仕事の話をして帰宅。
炭酸泉の帰りに気分の悪くなる出来事があり、どうしても行きたくなったのですが。お参りも終わり帰りの地下鉄の中でチラッと思い出したぐらいで なんであんなことで気分悪くなったのかすらも どうでもよい気分。
清正の井も良かったのですが、なにより空気感が良かった。
おまけ
日本家屋や倉的なもの、スタティックに日本の伝統文化スタイルのデザインを想像しています。
過去の隈研吾デザインではサントリー美術館もしくは太宰府スタバ なアバンギャルド風なものか。
どちらかですかね。